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四日市湊
室町時代の「四日の市(いち)」の頃から、まちは浦(のちの湊(みなと)のこと)とともに発展してきました。江戸時代は、宮と桑名の東海道七里の渡しに対して、四日市湊と宮の間を十里の渡しで結び、多くの旅人で賑(にぎ)わいました。
幕末の大地震により湊は大きな被害を受け、明治維新を迎えます。明治6(1873)年、廻船問屋(かいせんどんや)の稲葉三右衛門(さんえもん)は、この湊を近代的な湾に生まれ変わらせるため、修築工事を行う事を決意します。四日市の近代化の歩みは、この湊の修築から始まるのです。