ばい煙規制法に代わり、1968(昭和43)に
大気汚染防止法が制定され、排出基準が濃度規制から地上への影響を考慮した排出量規制に見直されました。しかし、いずれも施設ごとの規制であったため、工場が集中している四日市の状況には十分ではありませんでした。
1971(昭和46)年に三重県は国に先行して硫黄酸化物の
総量規制を導入し、これにより四日市の大気汚染は大きく改善に向かいました。
総量規制では、まず現状の地域の環境濃度をシミュレーション(予測計算)する手法を確立します。この手法を使って、地域として目標とする環境濃度を設定し、目標達成のために地域全体で許容される排出総量を定め、これをもとに工場ごとの規制を行います。
この図は、三重県が
総量規制の実施に際して四日市地域の環境濃度をシミュレーションした結果を示したものです。
実際の
総量規制は目標達成を1977(昭和52)年度とし、1972(昭和47)年度から実施され、目標より1年早く達成されました。
この間、四日市地域の硫黄酸化物排出量は大幅に低減されました。