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戦前の四日市とコンビナートの形成
1906(明治39)年から、四日市港の港湾機能を強化する目的で四大事業が行われ、その後も長期にわたる整備により、臨海部は変化を続けました。昭和に入ると、市は臨海部への工場誘致の対象を、紡績などの軽工業から重化学工業へと転換し、
第二海軍燃料廠
などの軍需工場が建設されました。
1945(昭和20)年の空襲により壊滅的な被害を受けた
第二海軍燃料廠
の跡地は、戦後、石油化学
コンビナート
へと大きく変貌を遂げました。
戦前の四日市とコンビナートの形成
└
国産振興四日市大博覧会
└
化学工業の萌芽
(ほうが)
と第二海軍燃料廠
(ねんりょうしょう)
└
四日市空襲
└
第一(塩浜)コンビナートの建設
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