四日市公害と環境未来館


訴訟の提起 2502

1964(昭和39)年、初の四日市公害による健康被害者の死を契機に、公害反対運動の関係者の中で、大気汚染公害の発生源である企業の責任を裁判で問うことが検討されはじめました。
1966(昭和41)年、関係者から相談を受けた東海労働弁護団は訴訟の準備に取り掛かりました。支援体制づくりや原告の擁立などの課題を克服し、1967(昭和42)年9月1日に損害賠償を求めた訴訟が提起されました。