四日市公害と環境未来館


戦前の四日市とコンビナートの形成 2108

1906(明治39)年から、四日市港の港湾機能を強化する目的で四大事業が行われ、その後も長期にわたる整備により、臨海部は変化を続けました。昭和に入ると、市は臨海部への工場誘致の対象を、紡績などの軽工業から重化学工業へと転換し、第二海軍燃料廠などの軍需工場が建設されました。
1945(昭和20)年の空襲により壊滅的な被害を受けた第二海軍燃料廠の跡地は、戦後、石油化学コンビナートへと大きく変貌を遂げました。