四日市公害と環境未来館


自主交渉

1972(昭和47年)の四日市公害裁判の判決後、二次訴訟を準備していた磯津の認定患者や家族と遺族140人が、すでに判決により賠償責任が明確になっていた被告企業6社と行った交渉のことを指します。