四日市公害と環境未来館


公害対策のための都市計画 2622

四日市市は「黒川調査団」の勧告を受け都市改造計画を具体化しました。当時、硫黄酸化物を完全に除去することは技術的に困難であったため、計画は工業地帯と生活地域とを分離し、公害の発生している地域の住民を移住させる住工分離を基本とするものでした。
1966(昭和41)年に策定された「四日市都市公害対策マスタープラン」に基づき、平和町と雨池町の集団移転、緩衝緑地の整備と大規模緑地の保存などが進められました。