四日市公害と環境未来館


二次訴訟 2602

支援団体の一つである「公害を記録する会」は磯津(いそづ)の住民と勉強会を開くなどして公害反対運動を進めていました。この活動と公害裁判の支援活動をつなぐため、1971(昭和46)年に「四日市公害と戦う市民兵の会」が結成されました。
この年の勉強会で二次訴訟が提案され、「公害から子どもを守る塩浜母の会」が中心となって訴訟準備が進みました。しかし、1972(昭和47)年に行われた自主交渉の決着により二次訴訟提起は中止となりました。