四日市市立博物館


弥生人のゴミ捨て場・トイレ 3217

農耕の開始による定住が始まり、村の周りにある濠(ほり)や水田の排水路にゴミを捨てていたのではと考えられます。自然を敬い、貝のお墓の意味もあった縄文時代の貝塚とは、多少様子が異なります。食事の時に出るゴミが中心でしたが、他のゴミも一緒に捨てていたようです。また、弥生人は、濠や排水路、近くの川をトイレとして、直接排便をし、流していたと言われます。川があった所に、足場に使っていた杭(くい)や糞石(ふんせき:化石)が見つかった遺跡もあります。